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三浦一族の話し
三浦一族とは
鎌倉武士の中でも坂東八平氏と云われる有力な家系で「中村 秩父 上総 千葉 三浦
梶原 大庭 長尾」のうちのひとつで「他にも藤原秀郷の子孫の小山 下河辺 波多野
及び武蔵七党を代表とする党者達が鎌倉武士の中心」
坂東八平氏は第五十代桓武天皇の曾孫、平高望を祖とする桓武平氏高望流の家系に
連なります、高望は9世紀の末頃、上総の介に任じられ任期が過ぎたあともそのまま
関東に土着した人物で、その息子達「国香 良兼 良持 良文 良茂」も
それぞれに関東各地に所領を得て、その地に居住したのでした。
そして坂東八平氏は 良文 または 良茂 の子孫と称する家系で主に武蔵
相模 そして房総の各地に勢力を広げていきました。
三浦氏と清和源氏の結びつき
後三年の役に鎌倉党梶原氏 大庭氏らの祖とされる権五郎景正と共に参軍した
三浦平太郎為継は「将軍源義家のつはもの」でありかつ「相模のつはもの」
そして「聞こえたかきもの」とされています
桓武平氏一族のものが相模國三浦郡に土着したのは
為継の親の為通のとき「三浦平太夫 長門守 従五下 康平六年頼義より
相模國三浦郷を宛われて衣笠山城を築きてこれに居す。初めて三浦氏と称ふ」
というところです。しかしほんとうのところ良茂の孫の公義がまず三浦郷に来て
その土地の有力者の娘と婚姻して土着したものと考えます、そして後から
為通が入ってきてこの土地の支配権を手に入れ、公義の子の為継を
養子として公義家にとってかわったものと思われます。
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