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和田
軍記 鎌倉見聞志三篇 第弐
目録
一 義盛於御前決断之事
并朝親公成和平之事
一 将軍内奏を御禁制之事
并和田左衛門尉盗賊吟味之事
和田
軍記 鎌倉見聞志三篇 第弐
義盛御前おゐて決断之事
并朝親公成和平之事
美作蔵人朝親・小鹿嶋橘次公成御所侍に参上しけれハ、
将軍出御ましく、義時に命せられ、一旦御下知を加へ
らるヽの処に、又々争論に及ひ合戦を企る条、御上を軽
んじ奉るに似たり、いかなれハ再度のそふどふに及ぶや
いなや明白に言上すへしと上意有、朝親女か出奔の事を
申て、鬱憤をさんじ難きよしをのふれハ、公成ハ御下知
に随ひ送り遣ハすの所に、ちくてんせしむる条それかし
か所為なりと無道をいひ立害心を発し候ゆへ、是非なく
勝負を決せんと仕る所に候、全く上意をそむくにあらす、
朝親無体に合戦を企て候上は、勇士のならひ手をつかね
て非道の刃を請へきやうなく候へは、まことにやむ事を
得さる所にて候と言上す、北条義時是を聞、小鹿嶋公成
朝親か愛妾をかくまひ置ぬる事、先達ての申訳明白なら
すといへとも、御憐愍を以て糺明をもとけられす、和平
なさしめ玉ふの処に、又々女逐電せし事朝親疑心一理な
きにあらず、殊に両人の宿所軒をならへし事なれハ、か
たく不審数多なり、何にもせよ上命にそむき、私の宿
意をもつて合戦を企る条、御上を恐れさるふるまひ其罪
かろからず、就中公成ハ最初のいひ訳正しからす、其上
再ひ斯の次第におよふ事、罪科尤軽からす、此義におゐ
てハ御用捨なく、急度罪科を糺さるへきなりと申せしか
ハ、両人屈伏して見へける所に、和田左衛門尉義盛、最
前よりの始終をとくと聞すまし、やかて御前に罷出、両
人か決断の事某に命せられ下さらば、存る子細も候間、
明白に裁許仕るべきよし申にそ、将軍聞し召され、元来
義盛諸士別当の身なれハ、よろしく計ふへき筈なれとも、
始めに下知をなしつる事ゆへ、此度も両人を召よせる所
なり、然るにかれら言上の実否分りかたきけれハ其方に
任すへし、依怙の沙汰なきやうに計へしと御直に仰渡さ
れしかハ、義盛面目をほとこしありかたく候と領掌し、
其座におゐて事を決す、先蔵人朝親を呼出し、此度鎌倉
中を騒動なさしめたる事、その根元ハ御辺の妾女よりお
こる所なれハ罪一人に決すへし、其故いかんといふに、
君恩を蒙り妻女・子共安堵する事臣たる者のいふにハ及
はさる所なり、其君の恩をおもハす、私の宿意に合戦を
くハたて、其身計りか一族まても相かたらひ死を争ふ事、
国賊とやいわん、禄をむさぼる奸臣ならすや、実に忠義
をおもハヽ、件の女公成か方にありとも其方の妻女とい
ふにあらす、又他人の能知たる事にもあらされハ、穏便
の沙汰にこそおよふへきに、何ゆへ公成かもとに有りと
いふ事をたヽさずして、無体に我妾女をうばひし密夫・
ぬす人なんとヽいひ送る条、土てつかねし人なりとも少
々生根ある者ハ、いかてか是を忍ふへきそ、妾女逐電に
よつて汝愁傷十方を失ひ、膽魂もさたかならざるにより、
公成か元にありと聞といなや、怒憤に絶かね、前後を弁
へす忠孝を忘れる事、ひとへにかの女壱人にれんぼしき
りなるゆへ也、しかのミならす妾女にまよひ、妻女を離
別せんとほつし、彼に嫉妬をおこさせんとさまくの馬
鹿を尽し、其上妾女逐電するの後も、妻女の所為なりと
詈り怒り、汝を捨て逐電する下賤の女に心をのこし、家
内を治る妻女を去らんとす、其方七去の法を知らさるや、
不義甚たしき事言語に絶せり、然ふしてかの賤女公成か
元にあるのゆへ、密夫也と詈る条そこつの至りならすや、
汝か愛妾公成かかくまひしとある、然らハ前々より密通
してやくそくの上ならてハ逐電すまし、汝を捨て公成か
元へ行程のもの、等閑のよしミにあらす、さほとふかく
いひかわすまて知らすにありしハ、よくも其方気を奪ハ
れしゆへならん、若また汝か方にある中さやうの義なく
ハ、何を以てぬすミしとハ申候や、公成誠にうハひし女
ならハ、深くかくして他人に逢すへきやふなし、然るに
其方か使者再度行向へて見届しとある、汝か方よりぬす
ミたる者を、汝か家来に見する馬鹿者かあるべきや、是
等の所に心を付、穏便におもふへきに、理不尽に騒動を
くハたて、賤女壱人の故を以て、家をうしなひ身を亡す
事、君への不忠・先祖への不義不孝、此うへの有へきか、
然るに御仁心の御計ひをなし下され、和平なさしめ玉ふ
の上ハ、よろしく身をかへり見て、君恩をありかたきと
思ひ相慎むへき筈の処、妾女を請取なから取逃せしハ其
方の不調法也、身のあやまりをもおもハす、公成か所為
なりとて再ひ合戦を企る条、たとへんかたなき処の不忠
・不義のふるまひ也、殊さら其方は一族よしミの輩を招
きあつめ、上聞を恐れす騒動なさしむ、これらの罪甚重
し、又公成ハさひ初より女か入来の事を申てより外に一
言をも発せず、ましてや諸人をまねき集めす、上意を守
て女をかへし事を納るといへとも、其方無体に合戦をく
ハだてつるによつて、止事を得す防かんとする者なり、
汝静におゐてハ公成いかてか騒動をなさんや、然らハ小
鹿嶋に罪なし、皆其方のあやまりならずや、某とても一
族のはしに列なれバ依怙のはからひなりかたし、已に罪
科かくのことくなれハふたヽひ糺問に及ハす、其上将軍
家より重て騒動を企るにおゐてハ、所帯召上らるへし御
定めを承知してなから、右の次第に及ひぬれハ、罪人朝
親所領之うち三分一御取上仰付らるヽの間、しばらく出
仕止むへし、公成大かた罪なしといへとも、其相手たる
を以て三十日の間閉門申付へきなり、始終をのへて利非
をたヽし罪を加へけるにそ、朝親わか身の誤りを言立ら
れ、赤面し一言の返答にも及ハす、屈伏して見へけれは、
将軍義盛か明白の計ひを御感ましくそのぜひを仰渡さ
る、是によつて朝親ハ知行三分一を召放され、出仕をや
められ、又公成ハ三十日閉門すといへとも、罪なき条あらハれて悦ふ事限りなし、
然るに北条義時、和田か計ひ片手打なりとおもひしかハ、
内々決断改られ然るへきやいなやと言上に及ひしかとも、
将軍一旦仰渡されたる上ハ再ひ改めらるへきに非すとて、
夫なりにて相済静謐すといへとも、朝親いまた鬱憤はれ
す、女か事におひてハ、一図に公成か所為ならんとおも
ひ、明暮無念に思ふの所に、翌年承元四年の春正月六日、
はからすも朝親か郎等かの愛妾をとら得たり、朝親悦ひ
我を捨たるのうらミ、いかヽしてさんぜんと先拷問する
の所に、元来此女は実なきの賤女なれハ、朝親か方を出
て公成に抱まわれ、心にしたかひありけるに、騒動に及
んてのち朝親か方へ返るといへとも、已前のことくにあ
るましと思ひ逃出しかとも、行べき所なきにより、匹夫
等のもてあそひものとなつて有けるか、今日鶴か岡八幡
宮に参詣して不思とらへられ、拷問に及ひ何事も白状せ
しかハ、朝親はしめて公成のうたがひをさんし、後悔甚
しく、元のおこりハ此女なりと、妻女の手前も面目なく、
終に此女を家来にめひじて誅戮しけるとなり、
将軍家、内奏を御禁制の事
并和田左衛門尉盗賊吟味の事
朝親公成と争論の事、両度まて騒動に及ふといへとも、
和田義盛是を決断し、両人ともそれくの罪を正し罪を
加へしかハ、やうく騒動もしつまりけるか、是等もミ
な将軍家御若年なるをあなとり天道をおそれす、事あら
は権門にたより、又ハ奥局方を頼ミて免されんと思案を
きわめ、上聞を顧みすして企つる所なりとて、改て御下
知ありけるは、此已後何事によらす訴訟の義をは役人の
外より執奏するにおゐてハ、利分たりとも急度曲事たる
へしと厳重に仰渡されけり、此義はあなかち義盛がすヽ
め申せしにハあらね共、北条義時和田か訴へゆへなりと
尼御台所へ言上しけれハ、禅尼はなはた御立腹あつて、
局ともの執奏の事を制せらるヽハ、我口入をなす事多る
へしとの義なるへし、将軍若年のあいた、事について尋
ね給ふ筋あるによつて、右大将軍の御時見聞たる事とも
を告申ものなり、然るに義盛是をこばミ止めんとすヽむ
るは、老臣の我意につのり我をかろしめんとする所なり
とうらミにくミ給ひけり、是によつて義盛か忠心のいさ
めも、悪める心よりハあしく聞なし御用ひなきにより、
いよく和田・北条不快とハなれり、天下の執権・老臣
たる両人斯のことくヽらへ執となり、将軍ハ御若年にま
しく、御母公とやかく計ひ給へども、女性の御義なれ
ハ政事につひて正しからざる事ともあるか故、天道も是
をかなしミ玉ふにや、このほどしきりに天変ありて、雷
雨地震等ハ毎日のことく、あるひハ家をなかし社塔をそ
んず、就中同年の九月晦日戌の刻に、西方天市垣第三星
のかたハらに異星あらわれ、其光り東の方にさして三尺
あまりに芒気殊外盛にして一丈計りもあり、是ほうき星
ならんと諸人怪むの所に、十月十二日京都の飛脚参着し
て、去ぬる晦日の異星ハほうき星たるにより、公家内外
の御祈祷をおこなハれ、其上年号改元あるべきのよし御
沙汰ありと注進す、前々の天変、京都御祈また始めしと
なりとの事ゆへ、鎌倉にても諸寺諸社に仰付られ、御祈
祷を修せられ、つゐに翌年承元五年三月九日改元あつて
建暦元年とす、上壱人より下万民にいたるまてつヽしミ
恐るヽ故世上静謐なり、
然るに建暦元年の六月七日、越後の国三昧の庄の領家雑
掌、訴訟の義有て鎌倉に下向し大倉の辺りの民屋に旅宿
して有りけるか、今晩盗人の為に害せられ、財宝を奪ハ
れ命をおとしヽかハ、早速此よし訴人に出るにより、和
田左衛門尉義盛家来を遣ハし吟味におよひけるに、宿の
主の男申けるハ、件の盗賊ハたしかに地頭代の家人とも
見請候、尤徒党をかたらひ、ミな帯刀にて理不尽に押入
て、家内のものをいたしめ置、客人を殺害し財宝をうば
ひ出ると白状せしかハ、役人かゑりて義盛に達す、義盛
しからはその地頭を同道すべしと下知しけるにより、則
かの所の地頭代を引つれ侍所に帰りける、義盛直に糺問
するに、地頭代おそれて何事も存せさるよしちんしけれ
ハ、義盛いかつて、汝此義ハ格別所の奉行として、かヽ
る非道のなきやうにと堅く命し置るヽ所ならすや、殊に
世のつねの盗賊にあらす、無体におし入たるの狼藉、い
かにもして案内しらずハならざるの事なり、汝か日頃の
政道厳重ならハ、爭か理ふじんの働らきなるへきそ、平
生の吟味ゆるかせなるによつて、上を恐れすケ様の無礼
におよぶ、皆是地頭代のあやまりならすや、いかなる大
事出来るとも、存せすといわヾ、其方罪なしと思ひしか
や、わつかの支配を預りてさへ治る事あたハず、何そ地
頭の職といふべき、国にぬす人あり、家に鼠有りとハい
へとも、上にたつものよく号令を下し守らしむる時ハ、
ぬす人も隙を伺ふ事あたハす、こヽをもつて日頃を思ふ
に、なんじかつミすくなからず、さりなから是らハ今さ
らいふて詮なき、差当る盗賊の事、旅宿の主白状にハ、
昨日汝か方よりかの旅人の元へ使者を送りしと、すなわ
ち盗賊といふハその使に来りしもの、今徒党をむすびて
押入たりとの申条なれば、汝自身其家来を引つれ出へし、
拷問をすへきなりと申にそ、地頭いよくふるひおそれ、
かくすへきやうなく、いかにも昨日家来を以て音信を通
し候いし、夜前より其家来ちくてんいたし行方をしらす、
もしや其もの我家を出て盗賊となりけるか、其程覚束な
く候と申けれハ、義盛かさねて其いひ訳立かたし、たと
へ実に逐電して汝是を知らずとも、やうく昨日彼処に
使し、其夜斯る不敵のらうぜきすべきやうなし、そのも
の日頃賊心あつて、兼て余党をかたらひをきぬる所なる
へし、家来にかヽる曲者あるものをも知らず、ちくてん
して事出来るの節、もしや其者の所為ならんかなとハ、
上に立て役を勤る者のふるまひにあらす、重々の誤り、
其罪逃れかたし、盗賊をとらへ吟味相済まてハ囚人たる
べしとて地頭代をいましめ、外役人に命し、かの盗人を
尋ねさかさしむ、然るに此地頭ハ元来愚知短才の小人な
れとも、御同縁の執奏によつて北条家のさしつとして彼
所の地頭代を勤るもの也、是によつて此度召捕られしに
付、妻子親類等同縁にたよつて罪を遁れしめんと駿河の
局につゐて、尼御台所へ愁訴をなしけるゆへ、尼公の御
所にて子細を尋ね玉ひしかハ、おのれかよき様に訴へ、
無実のつミを蒙りたる様にしきりに訴訟す、駿河の局縁
者たるにより、さへきつてとりなし申にそ、尼公さては
義盛我一族のさしつとして地頭代を勤るものゆへ、意地
を思ふて非道をはかるものならんとうたかひおほし召れ
しかと、容易に取あけ玉ハざりしかハ、するかの局さま
さま歎き訴へけるゆへ、尼御台よりすなハち此局をもつ
て、将軍の御方へかの地頭代か命乞の義を仰遣さる、尤
訴訟のことく無実の罪に落たるよしを以て、局是を演舌
す、将軍和田を御召あつて地頭代か罪を御尋ありけれハ、
義盛不審をなし、此義ハ只今吟味さい中にしていまた某
より言上仕らざるに、いかなる義にて上聞にハ達し候や
と伺ひけれハ、将軍ぜひなく尼公よりの御尋ねなるよし
をのたまひけるにそ、義盛すなハちかの地頭代か罪を明
白に述て、盗賊の行衛吟味の間、放ちかたく候とはかり
にて何事も言上せす、将軍もしいて乞ハせ給ふ事あたハ
す、しハらく捨置せ給ふ所に、二三日を経て件の盗賊五
人ともに義盛か郎等是を尋ねもとめて生捕たり、拷問に
およふの所に故野三刑部成綱か郎等にして、浪人の後地
頭の家来となり居たりしに、浪々の間すべきわさなきに
より、あるひハ人を害し財宝をうばひ、民家に押入て家
財を奪ひ、衣服の類をぬすみ取、諸国を横行しけれとも、
其身強勇にあらす、張本となる事あたハす、やうやく二
三人同類をかたらひ盗賊となつてありける、去ぬる秋の
ころよりかの地頭かもとに来り家来になつてありなから、
郎もすれハ同類をかたらひ内證のぬすみをなしけれとも、
地頭代ぐちのもの故是をしらず、弁舌にまよひてうあひ
してかへ置所なり、是等の趣ことくく白状せしかハ、
義盛一々口書をとり、すでに多年の盗賊せしこと、殊更
此度ハ御家人同前たるさんミの庄の地頭代を殺害せしか
ハ、重罪なりとて五人のものとも誅戮し事相済て、囚人
の地頭代か事、我家来に盗賊ある事をしらす、支配の役
にあらさるの罪、かたく利を以てさハく時ハ職をはな
つへけれとも、義盛おもふ子細ありとて、盗賊の始終口
書等を将軍の上聞に達し、地頭代か義におゐてハ、尼御
前よりの御あつかひ、駿河の局か願ひにまかせ、本宿に
安堵させしめ申へき旨言上におよひしか、将軍とかく利
非を糺し、政道乱れさる事ならハ免許すへきよしを命せ
られ、万事和田か計ひたるへしとの御事也、是によつて
義盛彼地頭代を召出し、尼公の御救によつて免許あるの
間、此恩を忘却せず已後よくく政道を心かけ相慎むへ
しと教訓をくわへ、元のことく地頭代となしけるにそ、
尼公にもさそあらんとおぼし召、駿河の局もよろこひけ
る、然ふして義盛憲法を正さんと将軍家に諫言を奉る、
鎌倉見聞志三篇 第弐終
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