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和田
軍記 鎌倉見聞志三篇 第壱
目録
一 将軍家御直決断之事
并朝親公成再ひ争論之事
和田
軍記 鎌倉見聞志三篇 第壱
将軍家御直決断之事
并朝親公成再ひ争論之事
智もつて人を伏せしめハ仁もつて人を憐愍す、勇以て人
を恐れしむ、此意を兼備するものは不望して覇業をなす
と、しかれとも門葉広からざれハ事に就て患有り、是を
除かんには衆人を愛する和合の所行にあつて、人を見て
信をほとこし帰伏せしむる時ハ、四海の人ハ皆一族同前
のおもひをなし、門下に群集して入魂たらん事をほつす、
孔子のいわく、人来る事あり又楽しからすやと、将たる
もの是を思ハすんはあるべからす、されハ和田左衛門尉
義盛は三浦の棟梁として一族広く、然も智仁勇をかね備
へ公事につゐて私なく、諸人帰伏・尊敬すといへとも、
北条家の威勢に砕かれ、忠義の名誉あらわれる事あたわ
す、是によつて自然両家相こばむて威をあらそふに至る、
其中に邪正あり、義時のなす事を義盛いなミこはむとい
へとも、利をもつのゆへに支へなふす、和田か計事を北
条さヽへんとすれども、邪を含むのゆへに制止する事か
たし、爰におゐて義時残念之意趣をふくむの折から、承
元三年十二月十一日美作蔵人朝親、小鹿嶋橘次左衛門尉
公成と愛妾の事によつて不時の合戦をくわたて、朝親方
へハ妻縁ありと号し、三浦の一党方人として群参す、和
田左衛門尉義盛も内縁ありといへども、諸士の別当たる
により、依怙のさたなく義理につゐて小鹿嶋か味方と称
し、騒動をしつめんと計るの所に、北条義時将軍の御前
におゐて、義盛諸人ともに方人なりとて騒動いたするよ
し言上致しかは、實朝公直に召決せらるべしとて、争論
人并に群参の輩迄御前へ参るへき旨を御下知ありけるゆ
へ、義盛是かならす北条か申かすむる所ならんと推量し
なから、諸士を引つれ御所侍に入来り、斯と言上に及ひ
ける、将軍出御ましく双方の意趣をたづね問せ給ふ所
に、蔵人朝親かくすへき事なく、愛妾を失ひ公成是をか
くまひおくゆへ、右の次第ニ及びけると言上す、小鹿嶋
公成もかの女之入来セし始終を申上、盗人密夫などヽ申
ニより、その悪名をすヽがんためかくの仕合ニ相成候と
訴へしかハ、将軍聞召、夫のミに一族を催し合戦を企て
騒動におよぶ条、頗る不忠といひつへし、殊更諸士の別当義盛、またともに味方加勢など
ヽ称して動乱を好むハ
何事そや、所存有之義ならんとのたまひけれハ、義盛承
り、何者が左右の事を上聞に達し候や、上意の如く諸士
を預る別当義盛、かヽる非常を鎮むる某か役目ニて候ゆ
へ、騒動のよしを承れハ言上ニおよハす、早速其場へは
せいたり無事を調ひ候事、今度に限らす前々にためし多
し、殊ニ此度の義ハ一族親類等某か命を受す、縁を以て
朝親が味方と称し馳至るにより、是をしづめんため彼所
にはせ向ひ、事の実否を承るの所に、朝親かあやまり多
きによつて、是をなため平定せしめんと存ぜしに、某か
諷諫にしたかハず、是非合戦を企候故、一族なからも非
道に組すべきやうなしと存、我一党に下知して公成か味
方となしつる事、合戦をおもふにあらす、不意の狼藉さ
せましき為なり、朝親戦かハんと致せしかとも、我一党
公成をたすくるによつて案に相違しゆふよに及ふ、此間
に今一度諷諫を加へんと存る折から、上使の命を承り、
左右におよハす同道仕るところにて候、一族をはなれ小
鹿嶋にかよひ申事、依怙を存せぬ某が計ひにて候、扨ま
た合戦を助けんとの了簡ならハ、甲冑の用意を致すべけ
れど、承ハると其まヽ此形にてかけ付、郎等あとより参
るといへとも皆もつて常服にて候、然るにはやくも上聞
に達し、某しまでも方人なりなとヽの御不審恐入て候、
此上ハかの両人か決断、御上の御計らひとして仰付られ
然るへしと言上せしかハ、将軍和田か誠忠を聞し召れ御
感心あつて、両人か争論に於てハ向後相止、忠勤を尽す
べしと、騒動の罪ハ互に免許あるへき間、公成ハ其女を
朝親にかへすへし、朝親ハ又女を請取うへハ、意恨をの
こさす和平すへきよし仰渡されしかハ、両人上意のおも
むき左右申におよハずして、畏り奉ると領掌し御前を退
出しけるにそ、義盛も将軍の御計らひ、御仁恵のほとを
かんじ奉る、此事に就てハ決断すへき事もありといへと
も、将軍の御下知あるうへハ再ひあらたむるに及ハずと
思ひ、ともに御前を退出す、さてかの群参の輩にハ、将
軍家より民部大輔行光をもつて、此以後私の好身を思ひ
方人かましき事あるにおゐてハ、理非をいわす所帯没収
せらるヽべきなりと仰渡されけるにそ、此面々御咎もあ
らん事と恐怖してありけるに、斯のことく御仁心の上意
に有しかハ、難有仕合と悦ひいさみ退出す、さるほどに
朝親・公成両人は将軍の命によつて闘争を止、小鹿嶋よ
りは件の女をかへすのやくそくなりける故、元来公成不
時に得たる所の女なれハ執心をものこさす、朝親か妾と
聞てハいよくおもしろからすとて、宿所にかへり、さ
つそく彼女を朝親かもとへ送り返しける、朝親始には恋
慕のおもひ深かりしかとも、斯る時宜におよんてハ、愛
念もうせはて憎ミいきどおりけるに、されハとてかれ壱
人を害すへき事とも成かたく、先女をうけとり、已前の
部屋に入置けるに、其翌日此女再ひ逐電して行方知れす、
朝親大に怒り、是ハ公成といひ合せての事なるへしとう
たかひ思ひ、此うへハ先非鬱憤をさんせんと、またく
合戦をくわたて用意しけるを、公成聞て朝親我をあなと
る上、命にそむき再ひ合戦をなさんとする条奇怪なり、
其義ならハわれと彼とじんしやうに勝負を決し、他人の
騒動なからしめんと使者をつかハし、其旨をいひ送りけ
れハ、朝親心得たりと返答して、すでに合戦に及ハんと
する所に、いかヽして聞へけん、義時これを知つて舎弟
時房を以て双方をなため戦を止させ置、然して御前に出
て、かの両人命にちがひ又騒動に及ハんと致する条言語
同断のふるまひ、其罪免しがたく候ハん、就中此義は公
成に非道のつミ多く候へは、彼を召て糺問の上罪を加へ
給ふへしと言上す、将軍おとろき思召、なに故再ひ合戦
をくハたつるや、其子細尋ぬへしと仰ける時、義時承り、
さん候、かの女を公成か手より朝親へ送りかへし候所に、
翌日女ちくてんして行衛しれす、是皆公成か所為ならん
と朝親ぎしんを生して、憤をさんせんため戦かハんとほ
つしぬるよし、たとへ公成か所為にあらす共、始めに小
鹿嶋かの女を引入おき、しらぬかほにて朝親と争論し、
上意によつて戻し遣わすの所に、かく出奔仕るの事其疑
なきにもあらす、然らハ公成こそ非道の所行に候へハ、
急度召いましめられ然るへしと申ける、是ハ和田義盛公
成をひいきするかゆへに、義時いミにくんて小鹿嶋を罪
し、義盛に面目を失ハせんとの了簡なり、将軍家是を聞
し召、然らハ両人を召よせ、重てやうすを尋ね給ふへし
とて、即時に朝親・公成を御召有、両人承り、今度にお
ゐてハ上聞に達せさるうち勝負を決せんと思ひしに、は
やもれきこへて御上使に預りしかハ、違背する事あたハ
ずして是非なく再ひ御所侍へ参候す、和田左衛門尉もか
くと聞よりいそき御前に伺公し、様子いかヽと伺ひけり、
鎌倉見聞志三篇 第壱終
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