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検証「那須与一の矢は扇の的を射抜いたのか?」
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ところは屋島、風が強く小雨混じりのなか与一は近くの神岩に風よ鎮まりたまえと祈り
馬を海中へと進めていく、そして大きな岩の上に馬を止め「南無八幡大菩薩願わくば
あの扇の真ん中を射させたまえ」の祈りとともに最期の矢を揺れる船上の扇めがけて
放った・・・・・・・・・
さてそれでは那須与一の放った矢が果たしてどれほどの難しさであったのでしょうか
ここに現代の全日本遠的競技会に数度に渡り優勝の経験を持っている、那須与一と
同年代の3人の射手によって、はたして扇の的を射当てるのは可能なのかという
実験が行われています。ただし「平家物語」の記述中にある条件の
「馬上」と「鏑矢」というのは設定が難しいので、海岸に立って遠的用の矢を使用しました。
これにより那須与一よりも有利な条件になってしまいましたが、そして距離を
「平家物語」の記述では5〜6段「1段は6間」となっていますから約65メートルから
75メートルの間となりますが、那須与一が弓を引く間際に、味方の者から声をかけられて
少し扇に近づきましたから、それを考えて実験では60メートルに設定しました。
また舟に立てられた舟竿の高さは3メートルと仮定して、その先端に的を立てました。
的は一回目は弓道の近的競技に使われる直径36センチの的を使い二回目は
直径52センチの舞扇を使いました。実験は3人の射手が5本づつの矢を引き各々の
射当てることができるかどうかを試みました。まず最初・・・試射は行わず、
直接、舟上にある的に向かって行射を開始しました。実験中に霧雨が降り出し
的は的自信の半分ぐらいの幅でゆっくりと左右に動いています。
そして的の近くには飛んでいきますが、上下左右にと矢は的を通り越していきます
そして二本目、三本目、四本目と3人ともにはずしてしまい、残り一射となりましたが
2番目の射手である、B選手が見事に的を射抜きました。次に挑戦の目的である
扇を的に射ることにしました、60メートル離れたところにある扇は予想以上に小さく
一本目、二本目、・・・四本目も3人全員外してしまいました、五本目各自最後の矢ですが
A選手は真上にはずし、B選手は左上にはずしてしまいました。そしていよいよ最後に
残った、C選手に一同の最後の望みをかけることになりました。
C選手はこの一矢に全身全霊をこめて静かに弓を引き分け、一瞬の後、矢は放たれ
扇に向かって吸い込まれるように飛行。矢は扇の右上に見事命中しました。
的中率20パーセント
両軍の兵が見守る中、那須与一が扇の的をただの一矢で射落とすことができたのは
与一の神業的な技量とともに、幸運にも恵まれていたのでしょう。
また当時は、弓道、弓術の一大革新時期の始まりでもありました。
弓では、丸木弓という自然の木を削って作られた弓からより威力のある
伏竹弓という丸木弓に弦と反対側に竹を貼り合わせた弓へと改良されています。
那須与一が使った「滋籐の弓」も伏竹弓の竹と木が剥がれないように藤を滋く
巻いたものです。そして道具の進歩にもまして弓術の技法にも、最初弓は矢と弦を
親指と人差し指で挟んで中指と薬指で弦を引くというやり方でこれでは矢は顎のあたり
までしか引けませんが、弦を親指で引き、人差し指と中指で親指を押さえて引くという
蒙古式射法に変化してきました。これは弦を確実に引くことと、より威力のある矢を発射
させる必要から考案されました。
そしてこの海岸での実験に先立って、筑波大学の弓道場で練習をした時の3人の
的中結果は次の通りです。「距離は60メートル」
直径1メートルの遠的競技用の的では
A選手10射皆中
B選手10射皆中
C選手10射9中
直径36センチの近的用の的では
A選手10射3中
B選手10射3中
C選手10射4中
那須与一の技量と、当時の弓の性能と、今回の3人の技量と現代の弓の性能とを
比較するのは難しいですが、しかし弓の性能は現代の法が格段に上なのはたしかです。
このような日本弓術の幕開け期に義経に扇の的を射落とすように命じられた
時の那須与一の自信ははたしてどのようなものであったのでしょうか。
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